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当社(株)古田鈑金工芸は、自動車産業が花開き出しました1950年に創業いたしました。
愛知県で一番古いかどうかはわかりませんが、同じ自動車修理、板金塗装業の中でも、とりわけ古くからこの業務に取り組んできました。
私は、創業者であります古田定喜(さだき)から4代目にあたります古田篤史と申します。
創業者であります古田定喜は、聞くところによると根っからの技術者であり、尽きない探求心、手先の器用さから、その類稀なる車の修理能力を買われ、自動車産業の黎明期において、様々なメーカーの車の修理を請け負い、近隣の皆様にはとても頑固な職人ではあったが、とにかくとても腕が良かったと聞いております。
そして同時に情熱家でもあったようで、自動車産業の黎明期にライバル企業とのプレゼンに勝ち抜き、ある大手自動車メーカー100%の修理業務を請け負うことにつながります。時に1960年、その際に(株)古田鈑金工芸と法人化いたしました。
時代が味方したのでしょうか、当時の成長は凄まじいものであり、創業時は夫婦プラス数人で始めた会社が、あれよあれよという間に70~80人を抱える大所帯の修理工場に変貌していきます。その当時を知る人に伺いますと、修理業界の中でもかなりの大きな企業という認識であったと聞いております。
しかし好事魔多しと申しましょうか、法人化をして10年後の1970年、突然不慮の事故で創業者であります古田定喜は亡くなります。法人化して10年、会社は売上も人員も過去最高の規模になり、土地の取得、様々な最新設備の導入を行って、さぁ今から頑張って稼いでいこう!と会社一丸になった時に、創業者はこの世を去ります。
他社で直せないものでも直す、根っからの技術屋で同時に情熱的な祖父はカリスマ的な存在であったようですので、突然創業者が亡くなった会社は、果たしてこれからどのようにしていったらいいのか、完全に方向性を失い、これから先はどうなることやらさっぱりわからなかったことと思います。
後で聞きますと、会社の売却、精算等も背景にあったそうですが、主人の創った会社だから潰さずに存続していきたいという想いから、全く車の修理のことなど何も分からない、経理のことしか知らない妻の古田満佐子(私から見れば祖母となります)が代を継ぎ、2代目の代表となります。
今でさえも、自動車修理産業はほとんどが男性の仕事と言いますか、大抵の業務はほぼ男性が従事していることが圧倒的に多い中で、今から数えて約46年前に女性の社長がいる、しかもそれなりの大所帯の会社というのは、日本中を探しても、おそらく当社だけではないのかなと思ったりします。
(この文章を書いたのが2017年4月なので約46年前としました)
社長、そして経理を手伝う事務員と独身男性用の自社の寮の寮母さんの3人以外は全て男性しかいないという中、また業界は男性主導でどっぷりと男性社会のコミュニティが形成されている中で、2代目の私から見て祖母である古田満佐子は周囲の初期の不安をよそに、その後25年もの長きに渡り、当社を存続させてきました。
そして、私の父であり、3代目として古田文雄(現当社会長)に代が継承されていきます。
当時3代目は、何となく時代が変化していていることにうすうす気づいてきており、2代目の時代に大きな収益の柱であった大手メーカー一極主導の業務の未来に少し陰りが出てくるのではないかと踏んでいました。
ですので、ほぼ大手メーカー主導で行われていた業務を、他社メーカーも徐々に、そして年を追うごとにその門扉を拡げ、ほぼ全てのメーカーの自動車をフルに受け入れる体制に変化させました。
自動車産業全体の成長が鈍化すれば、指定メーカー一極集中によって業務を取得している当社が間接的に収益性を下げることにつながるという先見性はどうやら当たっていたようで、早いうちに徐々に全てのメーカー、様々なメーカーやディーラーやモータースの仕事を受ける体制に変えたことが、今につながりおかげさまで潰れることなく、地域の皆様に愛されながら存続していることに繋がってきています。
そして4代目の私にバトンが渡されました(^^;
私の代になり、3代目の流れを踏襲していきながらも、さらに個のお客様一人ひとりのどのようなニーズにも対応できるように、直接お客様にお車を気軽にお持込みいただけるように、新たなサービスの開発、既存サービスを強化する等、様々な環境を整備する必要があると強く認識しており、徐々にではございますが展開させていただいております。
個人的な話ではございますが、代を継ぎまして最近よく思います。
なぜ創業者古田定喜は会社名に
「工芸」
と付けたのか?
日本中探しても鈑金屋の名前に「工芸」と入っている会社を私は見たことがありません。
しかし、最近その意味が何となく分かるような気がしてきました。
当社はメイン業務が自動車の修理工場として、様々な修理をするための大型の機械を導入していますが、意外にも職人が使う工具はいつの時代のものかわからないような、相当古い工具も多く存在するのです。
ある同業者の人が当社の工具を見て「こんな(古い)工具で直してるの?」と質問されたことがあり、その際は正直あまりいい気分では無かったことがあるのですが、ある時ふとこれが当社の特長なのではないか?と思うようになりました。
つまり、モノが溢れる時代で無かった時、数少ないシンプルな工具でいかに様々な業務をこなしていくのか、さばいていくのか、創業者を中心に当社の社員は皆知恵を絞りに絞ったことと思います。
そしてあんな修理もこんな修理もできることが世の中に認められ、存在価値を得たのです。
時代は変わり、工具も設備も進化してきたので、創業者の時代のような数少ない工具で直らないようなものを直すという「工芸」レベルの仕事は、そんなには求められていないことでしょう。
しかし、プロとして、車を修理するスペシャリストとして、「古田鈑金工芸で直らないものは直せない」と言われないにしても、それに近いレベルで、常にお客様の期待をいい意味で、斜め上で期待を裏切ってハイスペックで納車していくような、創業者直伝の気骨の高い仕事をする集団であり、会社でありたいなぁとこの頃思っています。
また、私が勝手に持っているだけかもしれませんが「職人独特の無骨さ」みたいなものはなく、修理を中心に、ずっと車の面倒を見てくれる会社であるとお客様方に信用してもらって認識してもらうこと、責任を請け負うことは、時代は変わって業態が創業時から変わったとしても、創業時の「工芸」の精神と相通じると思っています。
だから、一度信用していただけたら、誰もが「うちは車のことは何から何まで古田鈑金工芸に任せてあるから大丈夫」と思ってもらえるような、仕事をしていきたいと思っております。
長きに渡って、4代に渡って当社をご愛顧いただいております春日井市の方々、そして近隣の皆様には、この場を借りて深く御礼申し上げます。
最後に自分でいうのもなんですが、全然トップ独特の雰囲気の無い、社長らしくない社長ではありますが、お客様が困った時、お客様の立場に立って、寄り添いながら一緒になって問題を解決する気持ちは揺らぎません。
そしてまだお会いしたことのないお客様の皆様との出逢いを日々心より楽しみに、お待ち申し上げております。
2017年4月 代表取締役 古田篤史